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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 2月3日〜4月30日 「赤川 浩之 展」
永野のり子展
〈 風をまちながら 〉
2016年 雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵の具
永野のり子展
〈 風をつないで 〉
2020年 雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵の具

永野のり子展
大きな看板その2
永野のり子展
〈 AQUA VI 〉
2019年 雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵の具
永野のり子展
〈 とどかない時間時間 〉
雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵の具


53 永野のり子展

 〈 Canal Grande 〉  2022年 雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵の具

ここに永野のり子さんの作品をアップロードするのがとても遅くなってしまいました。永野さんとこれを見にきてくれた人たちには大変申し訳ありませんでした。


投稿ページのこのリンクに書いていますが、もう少し蛇足になるかも知れませんが、足し増しの文をここにも揚げます。長野さんの作品に付けられているタイトルは、〈風を待ちながら〉〈風をつないで〉〈Trace of Wind〉風がついているタイトルが多く見られます。
ゆったり流れる川の水にしても、湖だとしても全くの静水ということはとても少ないだろうことは容易に想像ができます。でも実際にはさざ波の模様が刻まれる水面しかほとんど見た記憶がありません。つまり、微かにでも揺れている水面を見ることの方がずっと多いと思います。
そういえば、わたしにしてもその水面のさざ波をじっと見つめて、ゆるやかに動くさざ波の訳を考えたり、ぼんやりと時間を過ごしたことの記憶も少なからずあるのではないでしょうか。

水の表と内側。水の中に私たちは入ることができません。潜水器具を装備すればできますが水はわたしが入ることを拒んでいます。
仕方なく上からその中のことを想像をするわけです。竜宮城のことや、海底二万マイルも、人魚姫の話しは水の中の話しを代弁してくれているのでしょう。水の中にもあらゆる想像が育まれて夢想するのにおおいなる舞台です。

その水の姿の表面に浮かぶさざ波の模様に永野さんは心まで揺さぶられて表面の模様を熱心に描き写しています。水の下にも、上にも掻き立てるカタチには事欠かないということなのでしょうか。
しかも、永野さんは水の上に映るべき景色をかき消して、揺れるさざ波に乱される風景として画面を見つめる人の想像力に任せ、ゆだねているのだと思います。
ゆらゆらとかき乱された景色はカタチを失って、モザイクのようにバラバラに水面に拡がってしまいます。
それでも何かしらの痕跡が見えると、人はそれの本来の姿を想像せざるを得ません。絵を見る人は、そこに何が描かれているのかを捜します。でも、水面にはチリジリに砕けた景色の破片を一所懸命につなぎ合わせようとしますが、その努力も具体的な結果を得ることができません。
それでも、見る人は破片から時間を見つけ、風を思います。
ゆらゆらと揺れる景色の破片は細かく左右に揺れて、ゆがんだ姿の景色から、かつて静かな無風の水面にあっただろう過去の時間を呼び戻そうとしながら、想像の拡がる時間を愉しむことができます。
具体的なカタチがないということは、抽象的なカタチを想像せざるを得ない共感の中で時間を共有することになるのだと思うのです。

わずかな風が水面を走って足跡を移動させます。その移動が時間を思わせ、風の姿を画面に固定させるのでしょう。
風のカタチと働きが永野さんの絵に不思議な時間を刻んでいるとおもうのです。

〈 AQUA VI 〉 2022年 雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵の具

〈 Fluxing Distance 〉  2022年 雲膚麻紙に岩絵の具、アクリル絵具

52 赤川浩之 展  

私の操作ヘマによってWordPressのいわゆる「死の真っ白画面」になってしまい、12月から3ヶ月近く操作できなくなってしまいました。作品の写真と3点の作品をお貸し頂いた赤川さんには大変ご迷惑をかけてしまいました。
ようやく、「死の真っ白が面」から開放されました。早速こうして書き込みとアップロードをしています。これからも続けてゆきますので、どうぞよろしくお願いします。

赤川さんの作品はジャンク部品というのでしょうか、さまざまな小さな機械や日常の生活空間に転がっているようなモノたちを再構成することで、赤川さんのさまざまな感覚と日常の形を変えて表出するものだと思うのです。
上の写真では時計の部品とカメラのレンズでしょうか。この下にもまだまだいろいろな構成があるのですが、このレンズを通して壊れたスプリングにつるされた何やらの機械加工された形を注目するべし、とばかりに拡大された形に連想ゲームに誘う仕掛けだといっていいのでしょうか。
その形は、無機的な機械加工の冷たい金属ですが、ぶら下がっている様子といくつかの加工品をはりあわせられた、その形のどこかユーモラスな様子を強調するものなのでしょうか。
他の作品で見る仕掛けは、小さな太陽光発電モジュールの電気で動くのでしょうか、ゆっくりと不規則な動きが突然始まったり、インターバルも不規則で機械的な動きを消し去ろうと努力がなされている様子が窺えます。

そして、上の作品では細いワイヤーで微妙な曲線を描きながらすっと延びる形が優しさを奏でていると思うのです。
さらに、それらの形と仕掛けがそれぞれつなぎ合わされているその細工の慎重なこと。
それは、赤川さんが物事に向き合う時の丁寧で慎重なことが充分に伝わる作業そのものだと思うのです。
そして、それらのものと作業の機械的な冷たさをかなぐり捨て去るために、ありとあらゆるところを汚しに汚して機械的な規則性を否定していることも充分に伺えます。
そういうことへの赤川さんのこだわりが、どの作品の中からも見える物事に対する慎重さと丁寧さへの現れだとも思い、我が身を振るかえると身もだえせざるを得ないのです。

赤川さんの展示パンフレット

展示のパンフレット   展示に際してまちに配ったパンフレットです。展示に協力を頂いている商店や個人のお宅などに展示の作品や作者の説明をしています。

11月から2025年1月31日の展示
かたまりを描く人
「杉木奈美」

S120127KATAMARIWOKAKU和紙に水彩・胡粉

S210701KATAMARIWOKAKU和紙に水彩・色鉛筆

N240714KATAMARIWOKAKU

B200101TOKYOBIRUKEI

8月から10月の展示 鷹尾俊一 彫刻 具象と抽象
具象と抽象は表裏一体だ

〈メタモルフォーゼ〉1984年 撮影 浅田政史 美ヶ原高原美術館

La lumiere d’ohotsku 紙にアクリル 160×320cm  2023年
真冬、海岸にうちよせる流氷の上にはダイアモンドダストが輝くのでしょうか
https://machiteku.gallery/wp-admin/post.php?post=3195&action=edit

La lumiere d’ohotsku 
伊藤彰規 紙にアクリル 93×73cm  2018年
自由に動き回る細い線の踊りのように感じる伊藤さんの北国

岩手銀行の大きなウインドーにも展示させていただいています。

まちがギャラリー

土澤商店街の26ヶ所に写真と
オリジナルの展示が1ヶ所
まちを歩けばアートにあたる
「まちてくギャラリー」

商店の壁を借りてA4サイズにプリントをして展示をしています。

日常の生活空間に紛れ込ませてアートが見える365日。