1604年にこの一里塚ができたと横の看板に書かれています。江戸幕府が開かれたのが1603年というから、江戸から129里のここにもすでに作られたということになります。
時々、この道を通るたびに圧倒的なそのボリュームに驚くのですが、でもまてよ、このうえに立っている桜400年余りの樹齢かな?春にここを通ると見事なんだけど、桜の木の寿命はそれほど長くはないらしいし。あ、そうか、植え替えられるということもありだよな。
当時の人びとがこの道を通って行き来をしていた景色を思い浮かべるのに、こうした、桜の木は何代かに渡っているかも知れないけれど、数百年に渡ってあり続けている塚がこうやって見えるということは、想像を多いに刺激するに余るものだよな。
400年前からこの道は奥州街道としてあったけれど、バイパス化を重ねてくるり替えられた道は、ずっと西寄りに現在は交通量も質も激変しているので、ここが拡幅の工事に会ったらひとたまりもなく消えていたわけです。
絵画や彫刻もずっとあり続けるために、油絵の具やブロンズというように素材の研究も重ねられてきたわけだけど、雨風や、紫外線に耐えうる研究も重ねられてきて、その寿命も物理的には耐久性をましているのかも知れません。
でも、一番そうした記念すべきものたちを破壊するのは、人間なんだよな。
だから、博物館や美術館というようなものが必死に保存につとめているわけですよね。
そうすると、文化の保存というものの見方からは、歴史の裏打ちが必要になるということでもあるわけで、それに、作品に歴史が補償しなければ、作品は残らないということになります。
だから、歴史に残る作品をものにしなければ、と皆必死になるわけでもあるんだろうな。
だから、他の誰もがしなかったことを、誰も考えつきもしなかったことを思い、それを実行しようとするのだけれど、現在70億人を超えてしまった地球上の人びとを跳び越えて歴史を塗り替えることなど、そりゃあ、いつか、誰かがやるんだろうけれど、自分が70億分の1になることなど考えつきもしません。
つまり、70億分の1になるのではなくて、自分の分1にはなりたいと考えるのは当然でしょう。
自分という人間は、すでに70億分の1ではあるのに、ワンノブゼム、ではなくてワンノブワンということなのかな。
一里塚
歴史のしょうにん