MENU
ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 2月3日〜4月30日 達川 清 展 次回は「伊藤 彰規 展」

林規親展 仙台SARPにて

+–+

4月7日日曜日、林さんの展覧会最終日でしたが、仙台まで出かけてきました。
風景彫刻。画廊で待っていたのは夏の日差しを受けて、線路際にすっくと伸びて真っ赤に咲く大きなカンナの花とフェンス代わりに並ぶ枕木と針金。わたしにも同じような記憶があります。昔の私の家は小田急線の線路に面していて、やはり夏になるとカンナの花が赤く燃えるように咲いている線路ぎわの場所がありました。
古びた木材と新しく削りだした鮮やかな木の色とのコントラストがお互いの存在を強調するように混ざり合っています。
そして、普通ならとてもそれを木材を削りだして形にはしたくならないような、針金や金網まで削りだしてしまう。しかもそれがこれ見よがしに、その技術を見せびらかしている風では決してありません。むしろ、それを、技術を、さりげなくやり過ごしているようにも感じられます。
だから、カンナの花がとても自然に写って、それは林さんの率直な視線と重なっているのだと思いました。

杭の代わりに立てられた枕木に打ち付けられた針金が錆びてちぎれていたり、なぜか空き缶がぶら下がっている様子まで再現されています。
ここに立っている作品の材料も古びて表面も荒れて、変色をしているのに、それは光景を再現しようとしている、あくまで林さんの視線であって、技術ではないのだと思います。
その視線が古いものに対する思いやりのようにも感じました。
古くなって、雨風にさらされてもそこに立ち続けるしかない、忘れかけられている物たちへの眼差しだと思いました。

この作品の方が新しく作られたもので、こちらの方が古びた感じがします。それは、入り口に近いほうに置かれた作品は18年前(確かそう話しておられたと思います)野茂ので、それが経年変化をしたかたちを、新しい作品で作られたそうです。実際には古いほうが新しく感じ、新しいほうが古びている。そういう形の矛盾というのか、そういうものを田野氏でいるのだと思いました。
この写真のカンナの葉っぱは、先が垂れ下がっているのですが、その表現が薄い板を一度切り離して、角度をつけてはり直しているのです。そうすることで、この木目があたかも葉っぱの葉脈のように流れている感じを表しているのでしょうか。そうした細部へのこだわりが、技術を前面に出すのではなくて、さりげなく見せてしまうところが林さんの気持ちのようにも感じたのです。

壁にはこうした小さな作品がかけられて、まるで盆栽のようにも感じました。
小さな形の中に世界を閉じこめる、見立ての感覚だと思いました。
いつもながらの楽しい風景を見させてもらいました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次