現代に生きるテンペラへの執着
Sunlight on September
2021年 22.0×37.3cm
©Ami Yasugahira 2023
2021年 22.0×37.3cm
©Ami Yasugahira 2023
わたしは下手なデッサンを時たま描くくらいで、油絵の具もほとんどいじった事すらないありさまなのです。
なので、テンペラというものについてもほとんど無知でここまで来てしまっています。
じっさいに、こうして安ケ平さんの作品に接して初めてテンペラということに、彼女から教えてもらいながら、たどたどしくこのページを書いています。
テンペラというものは、卵の黄身に顔料をねって画面に定着させるということぐらいしか知りません。しかし、いくつか文章を読むと、その画面の耐久性は油絵の具のように黄変することもなく、むしろ、時代が経つほどに透明感がまして、色がさえてくるということを知り、驚くくらいです。
それなのに、現在ではほとんどこのテンペラを扱う人がないというのは、どうしてでしょうか。おそらく、油絵の具ほどの応用性がなく、また、プロセスが複雑で、直接の描画以外の技巧が必要になってくるということなのではないでしょうか。
技巧の上に成り立っているのは、版画もいっしょですが、それなのにテンペラの世界は非常に狭く、特殊といっていいほど孤立した技法だといわなければならないのかも知れません。
それでも、あえて、この技法を取り入れるということは、その独自な技法の世界が作り出す画面の静謐さにあるのかも知れません。
そうした技術というのは、描画の技術というよりも、下地をつくる事や、メデュームともいうべき定着材の調合とその使用方法への、繊細な気遣いを求められるという基本的な技術的の制約にあるのかも知れません。
安ケ平さんのアトリエを見せてもらったのですが、あまり広くもない空間にやはり、自分の画面を作るための材料と道具が、自分の巣としてきちんと配置されているのでした。
ここでわたしが、テンペラのことをよく知りもしないのに、知ったかぶりをまねしたところで、安ケ平さんの作品へのアプローチにはなりません。
ただやはり、彼女の作品については、わたしが感じた印象について書き留めておく必要があると思います。
今回、安ケ平さんから預かった30枚近い作品の写真を見て、感じることは、静かな自然現象とそれを受け止める彼女の視線のことです。
安ケ平さんの描く対象のほとんどは、自然の風景や生きもの達の様子を題材にしていて、それらの近景と遠景が幾何学的に構成されていて、ある種のパターンを作り出しているようにも感じます。それは、おおまかな模様を作り出しているような時もあるし、静かな時間を止めているようにも感じます。
そして、その題名がとても抽象的な時があるのです。いつも、すべての題名がそうではないけれど、とても抽象的なときがあります。
〈とわをつなぐ〉という作品は遠くに山並みが見えていて、近くには植物が描かれています。遠景が遙か彼方の遠い時間で、近くは今の時間ということでしょうか。
〈初めて雪の降った11月の日−花梨〉というのには雪は描かれていません。枯れた色の木の枝と葉が、画面を斜めに横切って、大きくその向こう側をふさいでいるようです。
〈暖かい日〉は潅木の足もとに残雪だろうか、あるいは季節外れの雪なのだろうか、ぽつぽつと小さな雪のかたまりを残して、孤独な光景だと思うのです。
そうした題名と画面との距離感とでもいえばいいのでしょうか。その距離の間に人の気配がないけれど、全体に孤独な感じが、逆に作者の影が隙間に映っているような気がします。
作品というものは、不思議なものだと、ここでも強く感じずにはいられません。
作品の中にはないものがあって、あるものがそこにはない。二律背反というのだろうか。作品のマジック。
〈北風と太陽〉2
2017年 エッグテンペラ、パネル 530×455cm
©Ami Yasugahira 2023
〈暖かい日〉
2022年 エッグテンペラ、パネル 65.2×80.2cm
©Ami Yasugahira 2023