実は、大森さんは日大の芸術学部で1級上で油の専攻をしている人でした。だけど、人体を作りたいといって彫刻の部屋に来てモデルを前にして粘土と格闘をしていました。それが1年くらい続いていたでしょうか。ある日、原潜寄港反対のデモへいこうと誘われて二人で清水谷公園だったでしょうか、出かけたことがあります。 デモの途中で大森さんとははぐれてしまいその後のことは覚えていませんが、大学生になったばかりの子どもが一応、自分の意思でデモに参加をするというが能動的に意思を表すことなんだと思うと、大人になったような気がしたことを覚えています。 学校のアトリエでの大森さんの作品は、粘土を削って削って出刃包丁(学校では粘土ベラではなく、大きな包丁のほうがいいと教えられていました)で粘土を削ったり、叩いたり、包丁で筋をたくさんつけ、ジャコメッティを思わせるような非常に感覚的で鋭く突き刺さるような作品だったように記憶しています。 それ以後、会うこともなく数10年が過ぎて大森さんは茅ヶ崎に越してきてようやく再会しました。大森さんは版画家として展覧会を数多く開いて活動をしていました。そして、このまちてくギャラリーに作品の写真を提供してもらうようにお願いをしたのでした。 センシティブな画面に時間の流れを忘れてしまう思いがしたものでした。うまく書き表すことができませんが、数10年前のあの裸婦の印象のまま、大森さんは粘土の等身大の裸婦を前にして、表現をすることの矛盾にいらだちを覚えていたのではないだろうか。半世紀も前の記憶で茫洋とした残像でしかありませんが、ずっとそんな記憶を持ちながら今に至っていました。その粘土の裸婦の若く鋭い感覚をわたしはこの版画の画面から思いだすのです。 版画の技法についてはよく知りもしないけれど版画は銅版で、ソフトグランドで木の葉や薄布を転圧して、それこそ、薄い記憶のまなざしとでも言えばいいのでしょうか。 大森さんが重ねてきたであろう、記憶のひだに見え隠れする感傷を柔らかく包んでいるような気がしたものです。 あの、彫刻の部屋で自分の感覚と闘うように粘土に出刃包丁で切り刻むような、どこか尖った感覚は消えているようにも思うし、いや、あの鋭く刻まれた包丁の跡の数々はソフトグランドの隙間に押されて紙の間に確かに残っていると思いました。 大人の感覚として流れているのだ思うのです。
《遠い記憶ー春》 2018 エッチング、アクアチント、ソフトグランド
《青いあわい》 2010 エッチング、アクアチント、ソフトグランド
《幻の水辺》 2017 エッチング、アクアチント、ソフトグランド
《薄暮-森の奥で》
《幻の水辺》 2017 エッチング、アクアチント、ソフトグランド
《サウダーテ 静かな午後》 2010 エッチング、アクアチント、ソフトグランド
《花野ー風》 2015 エッチング、アクアチント、ソフトグランド
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