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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 2月3日〜4月30日 達川 清 展 次回は「伊藤 彰規 展」

㊺ 柳田 亮 展

「まちてくギャラリー」の5月から7月いっぱいは、柳田亮展です。
花巻市東和町土沢商店街の5〜600メートルの間にA4サイズの写真を22ヶ所と、ベニヤ板の大きさの看板が3ヶ所と岩手銀行土沢支店のウインドーにもベニヤ板サイズの写真を1枚展示させていただいています。それと、商店街中央に近い「まちてく画廊ライブラリー」というところのウインドーにはオリジナルの作品を1点展示しています。合計で、27ヶ所の商店や空き家の壁面やウインドーをお借りしてなりたっています。
変則的なギャラリーですが、45回目の展示は柳田亮さんのスケッチの展示です。柳田さんは、古い建築を訪ね歩いて描いたスケッチを「けんちく新聞」と称した新聞を22年ほど作り続けています。先日は第400号が送られてきました。
建物の絵を描くことが好きだというだけあって、その絵の構成は直線が際立ってきれいに描かれていると思います。
時間切れになったのか、途中で描くのをやめざるを得なかったのかも知れないものも、いくつか見受けられますが、絵というものの不思議な力ではないかと思うのですが、それは、線が活き活きとしているからなのでしょうか。神は細部に宿る、という常用句がありますが、細部が全体を想像させるのでしょうか。未完の全体が細部を物語るのでしょうか。もちろん、完成度の高い、細部まできちんと書き込まれた作品の魅力とはまた別に未完成の作品の魅力というものもあります。
柳田さんの絵は決して、完成度を求めているのでもないのでしょう。故意に途中でやめたように感じるものもあるし。
いい加減、といえばいい加減ですが、そのいい加減さが魅力なのです。
それにその「けんちく新聞」に添えられた文章がまた非常にいい加減なのです。描かれたスケッチについてのまじめな説明などはいっさいなくて、彼自身の生活の一コマが自由にだらだらと綴られていて、自由なのです。その自由さの裏側に時々、ちくりと刺すような皮肉が感じられる時もあり、自由な生活が一般の社会と少々違うリズムで進んでいることも伺えます。



この絵は、この絵を展示している建物を裏から見たところなのです。
そのことは、このあたりの事情を知っている人にも分かりにくい事かも知れません。ここはもとは履物屋さんの店が営業をしていたところですが、長く空き家になっていたところでした。で、ここには移住してきた若い人の住居になったり、仲間が集まったりして、ミニコロニーの感がありました。当然柳田君もここに出入りをしていた時期もあるようです。そうした背景が彼の中にも、印象深く根付いているんだな、とこの絵を持って来られた時に感じたものです。
現在は、この、まちてくギャラリーと昔の土沢商店街を復元しようとしている、菅原君の作る、かつての土沢を展示しているだけなのですが、表の看板にもあるように「ライブラリー」のような機能が作れるといいなという願望があります。
絵の感想をそっちのけにして、この建物にまつわる由来と将来への希望を語ってしまいました。
この絵の手前に描かれている小屋が見えますが、現在は取り壊されてありません。
廃虚のような体を見せていたその小屋は、「まち角美術館」の時に仙台の青木さんが廃物を修復することで、ものの姿を改めて存在するものとして、提示するシリーズの作品にした事もありました。
それは、傾いた建物の表面に、まっすぐに波板を貼って斜めの線とまっすぐな線が組み合わさり、逆に廃虚感が強調されるものでした。
また、別のまち角美術館の時には、雫石の新里君が廃虚の中に雑然と作品を紛れ込ませ、作品とは器物との境界をあいまいにすることで、作品というものの意味を問い直すような事もしていました。
そのように、現代美術の中だけではなく、現代そのものが、ものの存在をいろいろなかたちをまとって、「今」ということを問いかける事をしているのだと思います。
柳田君の作品はいわゆる現代美術とは少し違うかもしれません。絵の具と線で描いているのは、じつは直線と曲線を組み合わせて、にじみ出る感覚を表しているはずだと思います。

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