MENU
ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 2月3日〜4月30日 達川 清 展 次回は「伊藤 彰規 展」

㊷ 髙橋 博美 展

8月3日(水)から10月31日(月)間での3ヶ月間、「まちてくギャラリー」は 髙橋博美展です。

髙橋さんは「田舎labo」という店というかlaboという名前を付けているだけに、実にさまざまな実験的な展開を見世ながら
あそびを愉しむ場所を作っていいます。
世の中が今、くそ面白くない出来事ばかりが連続して嫌気が差しかけている中で、ここは別の世界です。
あそびということが私たちにとってどれだけエネルギになっていることか。毎日の仕事は生活のためと一所懸命になればなるほど、すり減るところがどこかにあったりして、ため息のひとつもこっそりふーっと出てしまうこともあるかもしれません。
だけど、ここではあ、こんなこともできるんだ!とおどろきというか、ヒザをたたいちゃうような意気がビックリのあそびの拠点です。
それはこの「田舎labo」の話ですが、髙橋さんの個性は、そのあそびの周囲できっちり仕事もしている、想像の自由を愉しむ人でした。
彼女は東京芸術大学のデザイン科をでて、銅版画にのめり込んでいた時期もあったそうです。版画というのはどれも印刷をする、という技術がとても重要なことなので、きれいに刷らなければならないというのが制約になってしまうこともあるんだと思うんです。でも、感覚というのは技術とは全く別のものだと思うので、それを両立させるのは、よほどしっかりと感性を護らなければならないんだろうなと思うのです。
そういうことで、現在はあまり版画をしていないということではないと思うのですが、当時に作っていた版画の作品を見せてもらうと、感覚の柔らかさがストレートに出るのではなくて、いっそう柔らかく感じられました。
版画という世界の規範というかメソッド、いやそんなに難しいことばじゃなくて、版画の中で彼女の感覚が混ざり合って気持ちよく見ることができたんです。
だから、また新しい版画ができたら、ぜひ見たいものだと強く思いました。

こんかいのまちてくギャラリーでは、オイルパステルとアクリルのガッシュが主な絵です。
色が混ざり合う画面と、繰り返される形のリズムや、かたちの置かれ方が不思議な雰囲気を醸し出していて、それがとても自由です。
下に今回の展示の作品写真を置きます。
私のことばなんかより、それを見てもらうほうがよほど感じられると思います。

前回の松浦延年さんの時からですけど、写真をA4サイズにしました。
いままで、画廊の壁に貼ってある案内状の数々から受ける、作家たちの多様なイメージが私にとってすごく強かったので、あまりにもそれに捕らわれすぎていたことに気がついて、もっとサイズを大きくしなくっちゃいけないと思ったのです。
そう思うと、もっと大きくてもいいのではないかと思い始め、方法を考えています。
しかし、この写真による展示は商店街のお店の外壁や中を借りてやっているので、すぐにそれをみんなの了解をとることは難しいかもしれません。
それと、もひとつ、空き家になっていたある商店のウインドーが作品を展示できるようになったということです。
現在は、別の人が昔の商店街を再現する模型を作る若い人の作品が展示されていて、その後ろの壁に掛ける形になりますが、双方の作者の人の了解を得て、オリジナルを展示していこうと考えています。
日常の生活の空間に、こうした美術が置かれるということはとても大事だと思うのです。
日常というのは毎日の繰り返しだから、ともすると流れて消えてしまうような時間でもあるので、強く記憶に残ることは少ないかもしれません。
でも、何も感性に触れるような場面のない日常というのは、極端にいえば危険だとも言えると思うのです。
いや、それは言いすぎかもしれませんが、私たちの日常はさまざまな出来事で満たされて、その流れの中で気持ちや想いを作り上げる時間なはずです。
もちろん特別な時間も重要ですけれど、普通の日常と特別な時間の繰り返しの中で私たちの時間が流れて、人生を作り上げているのですから。

コメント

コメントする