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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 2月3日〜4月30日 達川 清 展 次回は「伊藤 彰規 展」

㉛ 葛西四朗

葛西さん

ある時、東和町から遠野へ向って走っていると、猿が石川を挟んで向こうのほうに「虫のギャラリー」という字が書かれている納屋が見えました。どんなところなんだろうと思い、右へ曲がって訪ねてみました。このあたりの農家のつくりのその大きな納屋にはびっしりと標本箱が並んで、この家の主の葛西四朗さんが採集した昆虫が分類されて並んでいました。そして、下の部屋には葛西さん自身が描いた絵が4点ほど掛けてあり、素朴な画面から昆虫を集める葛西さんの非常にナイーブな空気がひたひたと伝わってくるのを感じながらそこをあとにしました。
それ以後、何度か遠野への道を走ると何度か立ち寄って、その空気を自分の中に注ぎ足すように帰ってきたものです。
そして、遠野の道の駅で葛西さんが描いた小説、遠野の歴史を描いた小説を見つけて3冊、読みました。
葛西さんは徳島の出身で阿波藩の農士の家に生まれ、曽祖父は絵帳をたくさん残し、雁皮紙の帳面には筆の練習、局紙の画帳には同好の士との交換した絵が多く残っていました。すでに亡くなったお兄さんの定弘さんも絵を膨大な数残して、倉にはそのドローイングの数々を展示し、画集などの蔵書も膨大に保管されていました。家風というのか自らの感性に率直に従い、自らそれを伸ばす気風が葛西さんの周囲には自然に満ちていたのだろうと思います。
昆虫の収集を見て、昆虫学者なのだと勝手に想像をしていましたが、岩城の医大で解剖学を教えていたということです。
しかし、自らの学問だけではなく、絵を描き昆虫を研究し、歴史を学んで小説を書く。しかもその小説は自分で印刷。ハードカバーの製本までこなして道の駅で販売をするという多能ぶりです。それを支えるのは、湧き上がる表現を率直に解き放つ柔軟な感覚の人なのだと信じます。
表現するということ自らの内側から湧き上がる気持ちを素直に溢れさせ、何も滞ることなく表に出す。表現ということはなんと人を伸びやかにすることだろう。そう思います。

《遠野獅子踊り》 油彩 96×135

《三春の桜》 油彩

《郡山御霊柩山》 油彩 F10X21989

《いわき四倉海岸》 油彩 1985

《古里麦秋》 油彩 1997 91×69

《喜多方から見た裏磐梯》 油彩 1990 65×53

《残照猿が石川》 油彩 2009

《獅子踊り2》 油彩

研究室

㉛ 葛西定弘

円

葛西定弘さんは葛西四朗さんのお兄さんで、すでに亡くなっていますが、膨大な数のドローイングを残しており、そのすべてのスケッチブックを倉に保管し、お兄さんの情熱を顕彰するために蔵のギャラリーに額装をして展示しています。その作品の数々は、どれも自らが想うカタチを求めながら、否定をする悲壮な痕跡だと思いました。
平面に黒く描く単純なカーブは多くの絵書きが挑戦し続けてきた絵画の謎の一つだと思います。その謎に挑み、こうではない。さらに求める表現の根源に向かい続けるも、掴みきることのない無限なループの用にも感じるのでした。

丸と四角の配列になんの意味もないのかもしれないけれど、四角い紙の上に意思を並べて表現になるのかと自身に問いただしていたのではないか。

線を引いて、軌跡を自身に対峙させるも否定の繰り返し。

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