天気図の西から前線を引きつれた低気圧がつながる毎日だったけれど、北風と、暗い雲ばかりの冬が少し明るくなってきた。目が覚めて表を見やると、田瀬湖の対岸の稜線が夜明けを知らせて濃紺色になっている。
子どもの頃の夜明けの景色を思い出す。中学校へは電車で通っていた。電車が藤沢の駅を出発して東海道線の陸橋を登ると南東に江ノ島が意外なほど近く見え、片瀬山の上に明るく太陽が登り始める時間だった。7時前だ。その学校では、1年生は冬でも半ズボンが決まりで、つめたい脚を擦るのも忘れて、友達達と賑やかに話をしていれば4〜50分の電車は楽しい時間だった。昭和30年が始まったばかりの頃で、それからはやくも60年が回ったことになる。今は一生の夕方だろうか。その時間は戻るわけもない。カチカチと音もなく足元を陽が照らしながら積み重なって今、私の現在になった。
18の時、俺は彫刻家になる。と思って以来、ずっとやってきた。
自分では前線にいるつもりでいても、歴史と時間の流れからはみ出ることもないのに彫刻という思い込みなどではなく自分の作品を作るぞと勇んだ頃もあった。
そして、むしろこれは立体造形なのだと思ったこともあったが、それも既存の枠から少しも出ることはない。形や形式ではなく自らの重ねる想像を整理して、いや、想像が正当な歩き方をしているのかを振り返ることで、ものに近づけることの方がよほど大切だと思うようになった。
そう思うと夕方ではなく、ずっと明け方の景色が前の方に拡がって明るい。

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