なぜこんなことをしているのか

岩手県花巻市東和町には、このまちの出身だった萬鉄五郎を顕彰する萬鉄五郎記念美術館があります。
小さな美術館ですが、萬を顕彰するだけではなく多角的に美術全体を捉えた独自の企画で小美術館としてのアイデンティティを放っています。また地元地域との協調にも活発な活動を見せていて、2005年から2014年までの9年間に6回のアートプロジェクト「街かど美術館 アート@土澤」を開催してこの小さな街を「アートの街」として広く認識されるようにもなりました。
しかし、その後のアートプロジェクトはなかなか始動できず現在に至っていますが、大掛かりなプロジェクトではなく日常の美術活動ができないかということで、この「まちてくギャラリー」をスタートさせました。
画廊の入り口には沢山の案内状が貼られていて、それぞれが作家の主張を小さな葉書から発信しているのを見て、こんなに小さな写真でも伝わるものがあることをいつも感じていました。
そして、その案内状のように葉書大の作品写真を作家達から提供してもらい(現在はA4サイズにしています)、それを展示しようと考えたのが始まりです。
そんなことをしてどうなるんですか?と訊かれたこともありますが、どうもなりません。
どうにもならなくても、大きな変化をもたらすのではなく、日常の時間に小さな美術のかけらを紛れ込ませることは充分の可能です。そして、それの蓄積には時間もかかるでしょうが、気がつけば何かしらの変化をもたらすはずだと思います。
また、変化というのはそうした日常の積み重ねでもあるはずだと感じています。
日常は緩慢に動いて、その微動に気がつくこともありませんが微細な変化は思わぬ力をもたらすことになるはずです。
日常は緩慢で眼にも緩く、変化にも見えませんが常に動いています。
下の写真は「街かど美術館2014年」の時に土沢の鏑八幡神社社殿に展示された犬飼三千子「落花流水・往きにし方」(アクリル絵の具・キャンバス)

「街かど美術館2007年」澤村澄子〈大きなあこがれ〉1470×540×320cm墨・紙。作品の前で説明をする澤村澄子。

2014年土沢の空き工場で原寸大の飛行機を制作する原口典之。

2013年から始めた「まちてくギャラリー」の展示。第12回〈勝田徳朗展〉の展示。

第28回〈増子博子・八木吏範展〉から増子博子

第42回目2020年5月〜7月〈松浦延年展〉

この時から写真の大きさをA4に改めました。
ずっと、案内状の大きさということにこだわり、はがき大で展示するということから抜け出せずにいました。思い込みというものは、時としてこうした悪循環に追い込まれてしまうのだな、と多いに反省です。
「展示」ということはちゃんと見やすくしなければならない、必須鵜の条件なはずですが、画廊の壁にたくさん貼られた案内状の景色がわたしは、見るたびになにか、エネルギーを感じてしまっていたのです。
そのことから、はがき大でも「伝わるものは伝わる」と思い込んでいました。しかし町の中の通りにはがき大の写真が貼られていても、「見えない」のです。そのことにやっと7年目に気がついたというお恥ずかしい間違いを改めました。
下の写真はベニヤ板の大きさの看板というか、展示です。この大きさのものが、現在は4ヶ所。大判プリンターで出力してもらい、黄色いアルミ複合板に貼って、さらにアクリル板でカバーをしています。
このくらいの大きさにすればある程度の距離からでもあそこにあるということがわかり、近づいて説明を読むこともできます。こうした展示物の設置には土沢商店街の商店会の皆さんの理解と協力を得て実現しています。

2014年「街かど美術館」鏑八幡神社神楽殿 一ノ瀬知恵乎〈侵食蒼茫〉金箔・アクリル絵の具・シナベニヤ

これらの写真はこの街で行われてきた街かど美術館の様子とそれに続いて行っている「まちてくギャラリー」の様子の一部分です。
この写真の鏑八幡神社の宮司さんに、作品の展示のために場所をお借りしたいことを話したところ「この町は萬鉄五郎のまちだから、作品の展示のためには自由に使ってください」との言葉をいただき、痛く感激した覚えがあります。
そして、境内の土俵、社殿と、この神楽殿を展示場として使わせいただきました。
そのようにこの町全体が、萬鉄五郎美術館との関係が深く、どこへ行っても多くの協力をいただくことができました。
しかし、この「町かど美術館」は2014年を最後に途切れてしまっています。
そして、アートの町に、365日アートがある景色を作ろうと2013年から始めたのが「まちてくギャラリー」です。