2023年2月から4月いっぱいは、米富さんの作品写真25点を商店街のあちこちにと、1点だけですが銅版画のオリジナルを、「まちてく画廊ライブラリー」に展示をします。
しかし、この「まちてく画廊ライブラリー」は「こっぽら土澤」というコーポラティブハウスが買い取った、もとは履物屋さんだった小さな空き店舗でした。下の写真のように残っているウインドウを何とか展示ができるように工夫をして、「まちてくギャラリー」の作品を展示させてもらっているところです。
このウインドーにはこの土澤商店街の昔の姿を復元しようと、こつこつとその模型を作っている若い人がいて、その作品も展示している寄り合い世帯のような感じです。そして、できればこのウインドーをもう少し大きくしてもらえないだろうかと、お願いをしたところその希望が通って、この写真は間口が大きくなって、照明も明るくなりました。
すみません。話しが、米富さんの作品から離れてしまいました。
米富さんは大阪芸術大学でデザインを勉強していたそうですが、卒業後、彫刻を作り始めて公募展やコンクールに積極的に参加をして、受賞も重ねてきました。そして、前回の展示の佐々木さんが作った「ファルマン」というモニュメントを制作する会社を手伝いながら、建築士の資格をとったり、プレゼンテーションのパーステクティブを描いたりするという多機能ぶりを発揮します。
今回の作品写真でも、油彩画だけではなく「漆喰画」と自身は表現していますが、いわゆるフレスコ画を最近は多く制作発表を続けています。
絵画の技法もやはり、材料の選択から始まり、その材料を活かすための研究と実施が新しい分野を広げる大きな手だてとなるわけです。
この2点の作品は「漆喰画」ですが、画面の縁がまっすぐではなく、不定な曲線になっています。それは下地になる漆喰を固定する土台のいたからはみ出した漆喰の余白と見ればよいのでしょうか。
おそらく、下地の板を作るところから始まり、漆喰を平らに塗り込んでその上に顔料を染み込ませるという手順ではないかと思いますが、いずれにしろ非常に手間のかかる制作過程だと思うのですが、その過程の作業ということが、おそらく彼女は楽しんでいるのではないかと思うのです。要するに彼女はもの作り人間のひとりだということです。
そうやって、手間をかけて楽しんだ上に顔料を塗り作画をしてゆくのですが、その作画がまた、描かれている花や畑の植物だったりする中で、対象の物事を観察して、それがどのようにできて、どのように光を反射して影を作り、形を成しているのかを綿密に考えながら、自分の技術を工夫しながら作品化してゆく作業を愉しんでいる、もの作り人間のひとりだと強く感じます。
この作品は、2001年とあり油彩画です。画面にはいろいろなものが、おそらく自分とその時にかかわりのある物たちをひとつの画面にまとめて、自分との関係を測りながら描かれたものではないだろうか、と私は勝手に想像をしているのです。
冷たい鉄骨のようなもの。円すい形のモデル。紙風船は、それらのものとは対照的に形の不確かで軽いものです。透明なガラス板が所在なげによりかかっていたり、画面に散らばるものたちのそれぞれの性格を表そうとしているかに感じます。
非常に具体的で、具象的ですが、これを描く根拠というか、動機のようなものは、おそらく、自分の環境を確認しながら、自分との距離を確かなものにしようとしているのではないだろうかと思うのです。
絵を描く動機として、そういうように自分との距離を確認しようとすることは非常に〈抽象的〉な行為だと思うのです。
私は常々思うのでうが、具象と抽象は常に一体で、表裏一体にほかならないと思うのです。
この作品は、具象的で抽象的な両面を物語っているように思うのです。