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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 2月3日〜4月30日 達川 清 展 次回は「伊藤 彰規 展」

㊵ 伊藤 洋子 展

〈口の中のネズミ〉
〈朝焼け〉
〈3月うさぎといかれ帽子〉
〈卵〉

ギャラリー アーチスト スペースという画廊が2019年まで銀座6丁目にあって、ビルの立て替えで閉鎖になってしまいましたが、そこは多くの作家達が拠点として集まる画廊でもありました。
なにごともそうですが、場所というものが活動の基本で、そこを軸にして人や物が交差することで広がりがでてきます。
そして、ここは現代美術普及協会というNPO法人の拠点でもあって、作家と作品を広めるための活動も活発にしていました。現代美術普及協会の活動は中心的な画廊がなくなっても、公的なギャラリーを会場にして、多くの作家達を紹介する活動は活発に続けています。
その活動の中で今回の伊藤さんも実務的なことも受け持って支えになっています。
現在の社会で生きていることを芸術を通して確認する事は大事なことです。多くのひとが美術を、芸術をテコにして社会と自己との境目をかたちづくろうと、多様な方法で試みることが芸術だとも言えると思います。
そうした精神的な作業を具体化し、投げかける場所として画廊があるのだと思います。そうした、画廊の存在の仕方は日本の社会独特なありかたのようです。西欧社会では画廊は、画商であり作品の売買で成り立っているので、日本の貸し画廊のようなものはないのだといいます。つまり、自分の作品を発表するためには画商に認められなければ実現できず、自分の意思で発表の場を設けることは殆どあり得ないというのです。
そのことが、文化の発生の大きな力になるというのがおおかたの見方のようです。しかし、だれでもが意思さえあれば作品の発表ができるこの制度は実は大事な事だと思います。
そういう自由な発表の場を設けるための、現代美術普及協会のような存在は貴重な活動だと思うのです。

現代美術の広報の役目も担うかたわら、伊藤さんの作品は非常に個人的で自身の内側から滲む言葉や意識がかなり直裁的とも思える表現に溢れていると思いました。それも、彼女は詩作がもともとの動機のようだと思いました。
画面には丸いかたちが繰り返して重なり、埋められていることが多く、ひとつの基本パターンをが面に埋めつくすように繰り返すことは、強調する意味もあるのかもしれません。
例えば、「口の中のネズミ」と題された作品は丸が繰り返される画面のほぼ中央に大きく開いた口があって、その中にも丸が重なっています。しかも、その丸の中にはさらに丸が入っているのです。それは眼にも見えるような気がします。眼や口が画面を占めるのは、自分自身を見つめることのような気がします。しかも、この絵は二重の構造になっていて、大きな丸で埋められた背景にもう一枚の絵が乗っかっていて、その絵に口が描かれているのです。
それは、自分の眼と口という表現を表す口と、表現を受けとる眼が二重の構造になっているような気がしました。
その絵のタイトルは上に書いたように,「口の中のネズミ」となっています。
口の中にいるネズミが意思にそぐわずに勝手な表現をしてしまう,恐れをいっているのでしょうか。
そのあたりは本人に直接うかがわなければわかりませんが、私は勝手に妄想をたくましくしてしまいました。
今度会ったらそのあたりのことを確認したいと思います。