



小笠原さんは花巻市の在住で、その作品はものの存在と認識され方、あり方を問い直すような作品が多いようだし、そういう考えでの制作なのだと思います。
こういう説明は言葉でうまく実態に迫ることがとても難しくて、わたしなどには文章にするのが困難です。
ここ何年かの小笠原さんの展覧会では、ポートレイト写真などを巨大とも思わされる、微妙に角度を変えて撮影したものを並列にして展示しています。よく見比べなければそれらの写真の違いは判然としません。人がものを見る時にはさまざまな先入観で対象を受け入れてしまうので、同じ写真だと思ってしまいがちです。それは認識の方法の確認、とも言えるのでしょう。
そしてそれは認識とはなんだ、ということに繋がって、物事と私たちの関係を問い直すことにもなるのでしょう。そして、そういう問い直しが観念論からどうやって美術へと昇華するのかが問題だと思うのです。
小笠原さんは、そうした観念を作品化するまさに、見本のようだと考えているのではないかと思ってしまうほど、明確に技術的な方法で提示しているように思うのですが、どうでしょう。
1970年代から1980年代には観念芸術ともいわれるコンセプチュアル・アートということが現代美術の芯のようにかたまり、芸術そのもののありかたが問われ,否定されては新たな局面を拡げてきました。
感性や情緒性に作品のアイデンティティを依拠するのではなく、ものごと(世界をつくるものごと)を意識し、把握することで,新しい認識を作り上げようという動きだったと思います。
最近の美術の流れは(そうです,流れのように変わるのです)反動じゃないかと思うくらいに感覚的な表現へ振れているように思います。そうした変化に対して、かたくなまでに芸術に対するアプローチの方法を変えず,若い頃に考えたことが自分の目標として,その方法を変えることなく探求を続ける。しかし,そのアプローチは刻々と変化をしています。
それこそが,思考のプロセスであり,「現在」なのだと思います。