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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 8月3日〜11月7日 「鷹尾 俊一 展」 次回は「杉木 奈美 展」11月9日〜1月31日

㉗ 斉藤 誠

横須賀の衣笠にある三浦高校の卒業生で美術家になった6人(その中で4人までが故人になってしまいました。私たちがいかに歳をとってしまったか)のうちのひとりである齊藤君もやはり絵を描くことが好きな人でもあるのでしょう。
絵を描くことが好きではない絵描きという人をわたしは見たことがないので、そんな紹介の仕方が適切なことなのかわかりませんが、その好きだということを作品自体にこめている人だとも言えるのではないでしょうか。それも曖昧な言い方ですけれど。
彼は、絵のモチーフを徹底的に花にこだわってパターン化することで絵を絵ではなくしているようにも感じます。え?それが好きだということとどう関係があるの?といわれるかもしれません。
パターン化することで絵を絵ではなくする。うーん少々苦しいかもしれませんが、パターンの繰り返しで自分の好きなカタチを模様にしてしまう。そのことと、絵に漂うどことなく子どもっぽい色彩への嗜好のようなこと、そのもので「絵が好きなんだ」といっているような気がしたのです。
好きだからその題材をどのように扱うのか、ということが作品としての強さにどのように昇華してゆくのでしょうか。
絵が好きだということを感じている誰もがどのように絵を描いたらいいのかを思うだろうし、繰り返し試し、反芻する思いと実験の数々が自分と想像との繋がりを深めることになるのだろうと思います。
日々に絵を描き続け繰り返して絵のことを考え続けることは日常になって、特別なことでもなくて普通になってゆく。そして、作品という物が特別なものではなく日々を確かめるひとつの手だてになって、それはやがてただ好きなことを淡々と繰り返すことが目的であり、手段にもなるのかもしれません。素朴な行為というのか、ただ繰り返すことが意味でも目的でもなく。
齊藤君とそういう話をしたこともないのに、漠然とそんなことを思っています。
そして、齊藤君は作品を個別に区別をしないというのです。だから、タイトルも制作年や材質についてもいっさい記録をしないともいいます。
ひとつひとつが、全部ということなのでしょう。あるいは、全部がひとつ。自分が好きな花をカタチにして表して、それは全部等価で、好きだ、といっていることなのかもしれません。そういう気持ちもわからないではありません。