私たちが生きるこの世界はどういうふうにでき上がっているのだろうか、それともでき上がっているのではなくて、時間とともにどこかに向かっているのだろうか。少なくとも変化をしていることは確かだと思います。
いわゆる自然というものにしても、わずかずつ変化をして時間を刻んでいます。私たち人間だけはその時間の流れをまるで逆らうかのようにすごく速く進めてみたり、あるいは止めてしまうことすらある。ひとが生きるということはある時間から時間への歩行のようなものではないかと思いますが、その時間という軸も距離という流れすら自由にしようとしているのでしょうか。
朝目が覚めて、夜寝るまでの時間はすべて一緒ですが中には飛び抜けてその空間と時間をまるで無視するかのように往き来する人まで現れて、想像の世界を四次元のように操る人まで現れます。
天文の世界や理論物理では想像の空間を操り発見をたぐり寄せます。美術が現実の姿を描写することをやめて、新しい想像によって今までにない空間をつくり始めてすでに半世紀以上の時間が過ぎています。
美術の中でも、人が作り出す想像には具体的なかたちと抽象的に流れる時間の中で軸を作り出そうとする場合とがありますが、そうした具象と抽象は切り離して考えられるものではなく混然としているように思います。
ここで五島さんの版画について思うと、とても版画とはかけ離れた実際の物を作り出して立体になった作品もたくさんあります。
でも、五島さんは版画からものを考え始めて、作品化してきている人なのだと思います。
だから、どのようなかたちの作品であろうと、五島さんは版画というカテゴリーから逸脱をしているとは自身も考えていないのではないでしょうか。
そんな気がするのです。
作品そのものが版画なのではなく、想像し考えることが、版画なのではないかといつも思います。
自身の想像を版として自分を刷り出す媒体として美術があり、プレス機で転写させる自然が五島さんの前に拡がっているんじゃないだろうかと、全く勝手な想像をしています。

《Dialogue -with flattness-》 2002年 119×81cm デジタルプリント
第7回風の芸術祭−トリエンナーレまくらざきー(南冥館)

《森を剥ぐ》 8.5×8.0×0.6m 朽ち木.落ち葉.雑草.ネット.その他 2014年夏
ART MEETING−田人の森に遊ぶー いわき市田人


《Memory of the Landscape I-B》 2005年 71,5×95,6×5,5cm
板材、コルクにリトグラフの風景

《Nature circle〈大意〉》 2012年 43,2×40,5×44,0cm 欅材、萩の枝、薄羽紙、etc
川越・亀屋榮泉倉空間

《生命の檻》 2016年 400×400×420cm 杉の枝葉、周辺の雑草の命、
ART MEETING 田人の森に遊ぶ、いわき市田人町旧貝泊小中学校裏杉林

《Dialogue -石割り桜とー》 2014年 64,0×53,0×8,0cm 松の木口に風景のリトグラフ、
ART MEETING 田人の森に遊ぶ いわき市田人町

《緑のことばXVII-1〈浮遊する光景〉》 2016年 25,8×34,0cm 写真、植物の版、
オフセットインク