夕方7時頃何か揺れているのかな?と思っていたら、アイフォンからギューギューという警報がけたたましく鳴り
「地震です!地震です!」というではありませんか。
絵?これから大きいのがくるのかな、と思ったけれど、なにもなかった。先日からどこかで揺れているのかと思うような
微かな揺れを感じることがあったけれど、なにも気にはしていませんでしたが、あとからテレビをつけると地震速報が津波
に注意とあり、沿岸から中継があり、気象庁からの警告などにぎやかだった。
もちろん警戒に怠ることは良くないけれど、震源はここから100キロくらいのところのようで、そのくらいの距離でこれほどの減衰
ならばたいしたことはないのではと思った。
だけど、震源が比較的浅いところだったようで、そういう地震は100キロくらいでこれほど揺れが少なくなってしまうのかと思い、
そのままになりかけた。
しかし、繰り替えしそのあたりの震源の地震が頻発しているということを、そのニュースで初めて知った。
私は、何でもたいしたことないよ、で済ましてしまう傾向が大なので、これは少し警戒しなくてはいけないかもしれない。
そうこうしているうちに、名古屋と横浜の友達から心配するラインが「大丈夫か?」と。
何でも大丈夫さという、楽観バイアスの強い自分は、悲観しすぎるよりは増しだと思っているところもあり、
なんとかなるさで、失敗をした記憶もない。
それも、都合の悪いことは忘れる楽観バイアスの典型。
とにかく都合の悪いことは全部忘れてしまう。
それでも、時々イヤーあれはひどい自分だったなと、バカな自分や、それはだめだぜ!というようなことを、ふと思いだしてしまうことがある。
そういう時は、手を振って「ヒュー!」と口笛を吹くなどすると、いやなモードから切り替わって、他の思考に移れるので
そんなバカは忘れるに限ると、マイナスモードから逃げるのです。
だけど、地震や津波の記憶はそうはいかないよ。
作品の失敗?そんなのも記憶にございません。

これは1985年に北海道立旭川美術館での「平面と立体のあいだ」という展覧会出の展示。
やたらと沢山の作品をばらまいただけの、どうでもいい展示になってしまったな。
一緒にでていた田窪が「ホワイトアートの時と違う展示だな」といっていた言葉が「わすれられない」
こういうのは、最初のイメージの組み立て方があいまいだったんだと思う。
明確なイメージなど、どうやったら作ることができるのかは分からないけれど
やっぱり、どういうことを目指すのかを認識しなければなんにも、できないよな。
あいまいな展示思い返してみれば、けっこうある。
それを経験だけで乗り切るっていうのもアホなことだと思う。

