竹ヤリを持ってオリンピックをするという。
国民の健康と安全を護って最大限の努力を払い開催するってな。
1日100万回の接種をするともいう。
2ヶ月経っても1パーセントしかできていないのに。
なにがそんな絵空事を繰り返しいわせるんだ。
無理を承知で、やるといったらやる!
説明なんかいらない。根性だ。

昨日4月10日も予算委員会があって、枝野が開催は不可能に近いと中止を求めたけれど、なんの実もないバカのひとつ覚えのように国民の健康と安全を図りながら開催するというばかりだ。
どうやって開催するのか、なにをどうするのか、だれがどう動きいつまでにこうする、という具体的な計画をみじんも示さずに、ただ「開催」するという幻想を繰り返すだけです。
インパール作戦で前線から糧秣も弾薬もない、至急補充を求めると電報を打てば大和魂で闘え!と返信が来る。できないとわかっていても始めてしまった以上引き下がるわけにはいかない。退却を指示すれば名誉に関わる。兵隊のじゃない、自らの名誉に傷がつく。世紀の悪作戦を実行させた牟田口中将は戦後もあの判断は正しかったと言い張っていた。いったん発したことはむやみに訂正はできないとする硬直した信念がどれだけの犠牲を生んだとしても武士に二言はないというのはあまりにも視野の狭い愚策でしかない。
日本の政治の視野の狭さをおもうと、いったん決めた政策を翻す真摯さが全く見えないことだと思う。
安倍、いや小泉から始まった新自由主義の弱肉強食的で強いものから勝て。淘汰すれば強いものだけが残り、国家は強大になる式のファシズムだ。
逆じゃないか。
力の弱いところを注視してすくいあげることをして、はじめて底辺が厚く上を支える本当の意味での強化になるのに、上部だけ肥大させて底辺を崩すようなことをして、社会構造の崩壊を招くばかりだ。
自民党の政治はずっと上層部の強化ばかりを図って、底辺の崩壊を招いている。大資本の更なる増大をもって、見かけの富裕の重視だ。
上の写真のように、子どもたちに竹ヤリを持たせるようなことは、その時点で底辺の崩壊だ。
コロナにマスクをかけて石鹸で洗い流させる。国民の一人ひとりに責任を負わせて、自粛しろという政府はすでに命令をするだけの牟田口化。戦前からの全体主義を一歩も脱していない証だ。


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