
田瀬湖が凍って上に雪が積もり寒い朝、湖面に霧が立ちこめて幻想的な景色になっていました。湖面の水はダムの管理で常に水量が変わるのですが、この時期水は減らされ始めているようで、水面が下がると氷も低くなり岸には取り残された氷がひび割れてへばりつくようになるのですが、それもまだあまり見えません。
ここは小さな入り江になっていて、風も強くはないようで水面が出ている時には鴨が盛んに泳ぎ回り、ガーガーとにぎやかなのですが凍ってしまっては泳ぐこともエサを取ることもできず、どこかへ移動して全くの静寂です。
毎朝この場所まで県道の歩道を歩いて来るのですが、私が立っているところはアスファルトの舗装になっていて、生活道路です。ですが、脇に眼をやれば自分が歩くことなどできそうにもない、生活とはかけ離れて動物や植物がなりゆきのままに生きざるを得ない環境になっています。
そういう、人の生活とはある意味相いれない環境がすぐ隣にあって、場合によっては崖が崩れることもあるかもしれません。
秋に風が吹けばまるで雨が降るように枯れ葉が眼の前を覆い空を飛んでゆきます。アスファルトに舗装されていても、降り積もった枯れ葉は車の後ろでくるくると舞い上がり、航跡のように風を見せます。
そうした生活圏は人が自然の中に入り込んで、かろうじて生きていることを知らされます。
それは、文明などというものが人の欲望の上に欲を重ねて自然をあたかも拒否していることになっても、都合のいい時だけに自然を味わうなどと称して、温泉などに浸かってひとときの休息を味わうことの阿呆臭さを思い知らされるのです。
エネルギーがなければ生活が維持できない、経済という虚構を重ねてその中で生きることしかできなくなっていると思い込まされて、それが社会活動だと思わされる。
文明文化とは、想像とは一体なんなのだろうかと、思うことしきりです。


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