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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。

作品写真だけで展示とは

森村 泰昌 展 「LAS MENINAS RENACEN DE NOCHE ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」資生堂ギャラリー 2013年
撮影 桜井 ただひさ

 この写真は桜井ただひささんの撮影による森村泰昌展の一部です。まちてくギャラリーではこのようなかたちで作品写真を街路に展示しています。
 写真で、しかも葉書大だから一枚は10センチ×150センチです。街路の雑多な日常の物たちが、そここに置かれているなかに紛れ込むように小さな写真を置いたところで、なんの展示になるのだろう、という思いを常に反芻しながら2013年からやっています。
 しかし、画集を観れば、もちろん大判の物もあるけれど実際にはこの葉書大の写真で紹介されている物は数えきれないほど存在します。
 さらに、写真印刷で云えば明治時代に雪崩のように入ってきた情報のなかに、西洋の美術も当時の解像度もままならない写真であったろうに、現在の写真技術から観れば粗い物であったろう、写真からも当時の若い作家たちは貪るように紙面の作品を眺めたはずです。
 ある時、床に散らばった新聞紙上に小さな囲み記事と写真が、まるで私を突き刺すように飛び込んで来て、そこに「物」が写っていると感じ、近づいてまじまじと眺めると、それはイサム・ノグチのマントラだった、という記憶が強く印象に残っています。つまり、物には固有の力があって、それはどのような形をとってもその力は人に訴えてくるのではないかとその時強く感じたのです。私たちがものを見る時に大事なのは、そこに見えているものなのだと強く思います。
 もっとももちろんそれは、ものの表現力に関わるのですが、それを評価するのではなく、「そこにあるものは何なのか」をまず感じるべきなのではないでしょうか。
 また、多様な表現者の作家たちのさまざまな表現をこうしてまちの通りに置くと、見る人によっては受け入れがたい物が出てくる事も何度もありました。
 例の「表現の不自由展」でも大問題となりましたが、いくら憲法が表現の自由を保証したところで、これは受け入れがたい表現だ、と表現する事も自由なわけです。どちらの表現も自由であり、保証されるべき物です。それでも、その自由を力によって否定することはどこにも保証などされていません。
 どのように感じるかは受容する個人の問題であると思うのです。この小さなまちの小さな通りで、小さな写真の表現をする事は、多様な表現を多様な方法で提示する。単純に写真を提示するという事を繰り返していく中で、未知の表現に出会うのかも知れない体験も含めて繰り返すことではないかと考えています。
 そして、このウエブサイトには今までの記録を総て残そうと考えています。
 まだ過去の総てを載せきれてはいませんが、8年分の記録はこのサイト上に固定化されるはずです。
 その時に、小さな写真から飛び越えて記録は意味を持つはずだと考えています。
 もちろん神の媒体で作る事がもっともいいはずだと考えてやってきましたが、このウエブサイトを不完全ながら作る事ができて時間に制約されずに、いつでも、あるいは、いつまでも開くことができ、好きな時に更新を重ねられ、好きな時にしないでいられる自由を私は手に入れられました。
 

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