下のこ4枚のの写真は展示の場所で撮ったものではなく、ベニヤ板の大きさにプリントをするための原稿です。
街の中に置いた時の写真では文字や写真も明瞭ではなくなってしまうことを思うと、原稿の方が見やすいかと考えて
町中に展示をする前のものをここに置きました。










こちらの写真はA4サイズにプリントしたものを、このように展示しました。これまでは、写真を両面テープで直接台に貼ったりしていたものを、アクリル板で挟む形に変更してやってみました。
どうしても反射を避けることができませんが、太陽の熱で糊が剥がれたり、湿度で紙が膨張してしまう弊害を裂けるのにはこの方式がいいかと思います。
今回は作家自身が個々まで来てくれて、3日かけて写真の張り込みや展示の作業を手助けしていただきました。
今までにこれほどの協力を頂いたことがありません。阿部さんが自身の作品の写真であろうとも、展示をすることの自身の作品に対する責任感でこれほどの協力を頂きました。
もちろんそんなことは、義務でも責任でもありませんが、阿部さんは自身の作品に対する責任感がとても強く持っているのだと思いました。
いずれの写真、いや作品の多くには「ドラム缶」が登場します。それは容器として存在をして、その中身は秘密の頑丈な鉄の円筒に阻まれて、そこに何が入っているのか解らない。
観るものはそれを想像せざるを得ません。わたしは、不穏な秘密の臭いを感じます。その不穏とは人間の持っている、権力への欲望なのか、あるいは、集団で暮す上で派生する利己の欲望がもたらす争いのことなのか。
第二次世界大戦が終わり、東西の覇権争いから鉄のカーテンが開いたと思えば、核開発をめぐる軍拡競争と相互の不信による力の誇示。
そして経済の格差と分裂。平和というのは幻だったのか。宮沢賢治の詩を愛するといいながら。
芸術は理想と自己実現の場なのだと強く思います。
阿部さんのうち鳴らす警鐘をこれからの3ヶ月間眼で観て感じようと思います。


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