去年の「仙台アンデパンダン」で見て、とても印象的だったのです。
非常に素直な絵だと思ったのです。なにも余計なことが入っていない、自分の心情がその
まま現れている画面だと引き込まれてしまいました。
そして、この作品は架空の人物を描いてはいるものの、ある意味自画像でもあると思った
のです。そして、この絵を描いた人に「まちてくギャラリー」に協力をお願いしようと、
すぐに思ったのです。これを展示していた喫茶フレームの本田さんに仲介をお願いして、
連絡が取れたわけです。そして、一度直接会いお願いをし了承を頂いたわけですが、この
鈴木さんについては初対面だしどのような考えを持って暮しているのかも知らないで、た
だ作品を展示させてもらうだけでいいのか、と思いもう一度会っていろんな話を聴きたい
と考えたわけです。
作品を見て、感じ、その感覚を大事にするならば、バックグラウンドとしての経歴などは
関係がないとずっと思っているのです。だから、略歴とか経歴などはあえて無視をしよう
と考えているのです。だからそういう、ある意味形式的なことは、取り入れたことがあり
ません。
それにしても、作品を紹介するだけで、その役割は果たせると思うのですが、紹介する側
としてバックグラウンドを皆目知らないままでいいのか、というより、個人的に知りたい
と思って、昨日6月20日の会見になったわけです。
でも、ここで鈴木さんのプライバシー、いや、事情を書いたところで作品を初めて見る人
に対しての参考になるようなことが、紹介できるものか心もとないくらいのことしか、昨
日の話で全部が分かるわけでもありませんし、だからあえてそのことは書きません。
もちろん、全ての鈴木さんのことなどいくら付きあったとしても不可能です。ですが、い
くらかでも鈴木さんがどういう経緯で、こうした作品を作るようになったのか、普段の生
活のこととかを知りたくなったのです。
そして、前回会った時にくれた、作品の写真を何枚か見ているうちに、なんとなく、彼が
どういう考えで作品を描いているのかは、もちろん、おおよその想像がついていたような
感じはあります。だけどそれは、どんな作品でもそうだと思いますが、なんとなくとは観
る側が想像する勝手な作写像です。その写真集で見たものは、ほとんどが想像上の人物が
ひとりで中央に描かれているものです。
そしてほとんどがその視線も画面の中央に向いていて、鑑賞者を見ているように感じるも
ので、それは作者の視線でもあると思うのです。
つまり、おそらく鈴木さんは意図しているかは別に、自分の心情を画面の人に託して描い
ている、自然にできあがった自画像をいろんな姿で描いているのではないだろうかと思っ
たのです。
そして、そうした作品の数々は8月の展示にあわせて、このホームページでも紹介をさせ
ていただきますので、どうぞご覧ください。
8月から展示の「鈴木信一郎さん」に会ってきました。


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