
明確な言葉で自分の作品を語ることができないままでいる私です。それは、思考の不足をあからさまにするばかりです。
しかし、繰り返し同じような作品をつくり続けてきました。作品を作り始めた学生の頃から、一貫して「わからない」が基本なのです。当時は彫刻専攻ということで、学校のアトリエで毎日作品を作り続けていたのです。でも、何が彫刻なのかわからない。人のカタチを真似して粘土をつければ、それが彫刻か?先生からは技術的なことは教えることもできるけど、芸術は自分で考えるしかない。と言われて、それはもっともだと思っても、なにが芸術なのか? さっぱりわからない。それはいまだに続いています。だから、ここに展示しているモノは仮のカタチです。だけど、かりそめだとしてもわたしにとっては、作品と呼ばれるものを通してしか、見えないことがあるような気がするのです。それは、なにも具体的なものはないのですが、それこそ、なんとなく感じる事実への手がかりのようなことで、明確な言葉にすらならない、もどかしくも気づくイメージのようなものです。イメージこそ、人にとっての最大の気づきだという気もします。
ここで展示した作品はそうした気づきの痕跡なのかもしれません。
わからないと言いながら、繰り返してきた試行錯誤が失敗することの方が多く、たった、ひとつかふたつの成功体験(といっても何が成功なのか)が、自分にとっての貴重な記憶になるのですが、それにしても、どこかで見たような類型でしかないような気もして仕方がありません。
つみかさねてきた経験から、私たちが感じることのできるイメージそのものが、すでに類型の積み重ねのようにも感じるのですから、仕方がないのかもしれません。
