ワードプレスというブログやウエブサイトの制作ソフトに取り掛かったのは何年前だったか覚えていないくらい前です。しかし、これをマスターするなどはデジタルセンスのない私には到底無理なことあきらめかけていました。YouTubeを見ているとこのワードプレスについて解説をしている人がたくさんあり、中にはとても分かりやすく話をしている番組を見つけました。それを見ていて、判らないでとどまっているのではなく、とりあえず先に進んでみようと思い、何とかサイトらしきかたちができてきて、あとから不具合は直せばいいじゃないか、ということでこのページを出発をさせました。果たしてどのくらいの人がこれを見てくれているのかは判りませんが、今はそれでいいと思っています。
スケジュールとして、展覧会の過去とこれからの予定で、ひとつのページを作りました。そこにある作家の名前(青くなっている)をクリックするとその作品の写真のページに移動するようにしています。しかしまだこれも見づらい部分もあり、改良の余地は大有りですが、まずかたちにすることが先決だということです。
その表も、さらに見やすいかたちにしていかなければなりませんが、少し待ってください。
そういうわけで、いわば見切り発車ですが、ないよりは何倍もいいという考えです。そのかわり、こうしたブログ的な部分の更新はなるべく多く進めてゆくつもりです。こうした、ウエブサイトは独りよがりな思いに陥りがちです。(ことにわたしの場合、その傾向が強い)「あればいい」とはいうものの、発信することが最も重要な役割だと思います。
この「まちてくギャラリー」が画廊空間のない、いわば実態のないギャラリーであるにもかかわらず、発信すること疑似的で架空の実態を作り上げてゆくはずだと思うからです。インターネットとはそういうものではないでしょうか。
「まちてくギャラリー」はほかのところでも説明しているように、ハガキ大の作品写真を商店街の通りの壁に展示しているのが実際です。それは、日常の中に美術や芸術の空間を割り込ませることになります。
「日常と非日常」というタイトルを「街かど美術館 アート@土澤」の1回目の時につけたことがあります。それを見て、「このテーマは非常に難しい問題だよ」といわれたことがあります。あまりにも壮大な問題で安易にもてあそぶなよ、という気持ちでいわれたんだとその時思いました。
以来、たびたび自分の中で日常について思いを巡らせることが多くなりました。そもそも、芸術は日常からの脱出をはかりながら、次元の転換を目指すことなのかもしれません。
同じことの繰り返しの日常は、ものごとを見失い怠惰へ向かうことで自分を維持をする方法のひとつなのかと思います。朝、陽が昇り夕方に沈むことを繰り返し、日々が過ぎてゆく。毎日同じことの繰り返しを続ける。その積み重ねの中で、ふと気がつけば太陽は真上に来てジリジリと身を焦がすように照りつけて、あの凍てつく冬の日がいつのまにか大きく変わってしまっていることに思いをして、時間や季節の変化に考えを拡げて日常の移ろいや、無常のうつつが拡がって新たな思いを積み重ねる。そのらせん形のような気持ちの変化がまた積み重なって、時間が経つと自分は別の場所に立っていることを識る。
日常と非日常は切り離すことができない裏と表のようなことだとも思います。
そして、日常はあらゆることを隠して忘却の彼方へ押しやってしまいます。
だから、まちの通りに小さな写真を展示したところで、毎日歩く人にとって見慣れた小さなものであり、あることすら忘れてしまうでしょう。
しかし、なにかしら、そこに写っているものが眼に入って触れた時、自分の中の記憶と触れて呼び起こされる体験があるとしたら、その時非日常の体験になるはずです。そして、展示をする側にしても日常に溶けこんで、存在を曖昧にしてしまう時間について考える。
その体験こそが芸術の非日常の体験です。
そういうことを考えるのは、啓蒙主義といわれるのかもしれません。啓蒙といった瞬間に行為は目的化してしまい本来を失ってしまいます。だから、わたしはこれらの日常を非日常化することを狙うのではなく、あくまでも日常として過ぎ去ってゆく時間であるべきと思います。
日常のまんま

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