
わたし、79なんです。あっという間とは誰でもそういいます。わたしもそう思います。
子どもの頃の場面を思いだすことも時々あるけれど、それがそんなに遥か彼方の出来事だったとも思えないし、思いだす時って、瞬時にその場面が現れるでしょ。
学生の頃の場面だって、10年前のことも、パッと切り替わるし、それらが、どのくらい時間が経っているかなんて、あんまし関係がないような気がしますね。
イメージっていうのはほんとに不思議なことですね。
頭の中に入っているのかも知れないけれど、まるでパソコンをクリックするみたいにパッと出てくるんです。
それは時間じゃないんだな。時間ゼロ。瞬間の連続はいくら繋がっても時間にはならない。瞬間はいくら集まっても時間にはならないって、最近すごくそういう気がするんだよね。
でもね、この今、オギャーと産まれてきてからの、この瞬間までに、やっぱり79年間の時間があるんだよね。
そして、その瞬間は、ヤッパ積み重なって時間になっているんだけど、時間はゼロなんだよ。
今っていうこの瞬間が時間の結果なんだろうな。
で、その瞬間にイメージがパッと現れて自分を揺り動かすんだ。イメージするということは瞬間の連続でいくら重なっても長い時間にはならない気がする。
でもね、「カラダ」はその瞬間の連続に耐えられないような気がする。
積み重なっちゃうんだ。細胞が体中でつ常に入れ替わって、更新をしているのに、その更新が時々つまずいてみたり、怠ったりもするんだろうな
それこそ、積み重なったつまずきや怠りが積み重なって、廊下で転ぶ。いや老化で転ぶ。
昨日できたことが今日はうまく歩けなくて、くたびれちゃう。
それでもイメージは浮かび、欲も瞬間にもちあがる。それでも転んでばかりいたら、イメージも持ち上がらないよ。何しろオレは、彫刻家なんだから。
え、彫刻家なのか?それらしいものを作っていないジャンか。
でも、オレは18の時に彫刻家になるって決めたから、オレはその時から彫刻家なんだ。貼ったり削ったりも刻みもしないけど
彫刻家なんだ。美術家という言葉が流行っているけど、立体造形家とも言ったりするんだけど
オレは彫刻家になるって決めたから、そのまんま。
その彫刻らしくなくても、それっぽいものを作り続けるんだよ。
「ぽい」でいいんだ。本物なんてどこにもないんだから。
っていうことは、偽物もないんだ。
偽物とか本物って言うこと自体がおかしいな。だって、全部イメージなんだから。
でもそのイメージというのが不思議でさ。さっきからいうように、瞬間なんだからイメージが伝わるのも。
そのイメージを具体化するにはやっぱ、「か・ら・だ」なんだよな。イメージを発生させるのもそうなように
「か・ら・だ」が具体なんだよね。その具体がふにゃふにゃで、脚も手や眼も言うことを聞いてくれなきゃ
具体もへったくれもないじゃん。
でね。毎日起きたら体操とインターバル速歩。
体操を自己流でも善かれと思うことをやって、表へでる。すると世界が見えるんだよね。
そりゃぁさ、見えるのは木々の葉っぱが落ちてカサコソ道を歩けば音がして、水の上には朝霧がもわもわとしていたりするだけなんだけど。
元気が出てくるんだよ。
