MENU
ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。

まちてくギャラリー 50回目は鷹尾俊一さん

昨日と今日、7月Ⅰ・2日で25ヶ所の展示を入れ替えてきました。北東北も梅雨が明けたといわれ、真夏の日差しが厳しく町全体を熱に包んでいました。写真はかつて、商工会の事務所があった建物の入り口の脇に置いたベニヤ板大の看板です。
アルミのフレームで縁をつけて、黄色い複合素材のベースに大判プリンターで印刷した紙を貼り込んだものです。
萬美術館の協力でこうしたプリントを実現できています。
こうした写真、このサイズのものをまちの中、500メートルあまりの中の空き家、商店の壁などに全部で26ヶ所に展示をしています。
実物の作品を展示するのではなく、写真で日常の生活の中に芸術の片鱗を提示してきて、いつの間にか10年になります。
しかし、日常というものは本当に怖いです。画廊や美術館は展示をより効果的に発揮するように考えられていますが、日常の場所にはそんな配慮は皆無です。それでも、廃虚のような空き家の前の壁にこうした写真を置いても飲み込まれそうな強烈な場所には人々の視界から消し去ってしまうようなこともあります。
さらに毎日この前を歩いても、いつもそこにあるということに慣れてしまうとないのと同じ状況になってしまいます。
それでも、あえてこうして日常の空間を芸術の視覚でいくらかでも変えてしまうことは大きな意味があるはずです。
毎日そこにあるからこそ、それは視界から慣れてしまいますが、必ず深いところに記憶として残るはずです。
それこそが、日常の強さでもあります。弱い存在と強い記憶の両極の間で日々、ここから芸術のシグナルを発振しています。
そうやって50回目、10年目の展示は「鷹尾俊一彫刻」の展示です。
鷹尾さんは具象彫刻を現代の具象を目指して、リアルな具象から離れて、主観的な具象に移行しながら具象を具体にまで持ち上げようとしているのだと思います。
上の写真の作品は長野県の「美ヶ原高原美術館」に展示されている作品です。彫刻は基本的に量塊、かたまりでものを見るという概念があります。そのかたまりの概念を鷹尾さんは自分のセオリーを持って展開しているのだと思います。
この作品も、そのかたまりを鉄の板で置き換えているのではないでしょうか。
私は、そうした考えを鷹尾さんから直接離して聞いたわけではないので、私の直感的な考えから想像をして欠いているものです。だから、本人の実際の思考とは違っているはずです。
でも、芸術というのは見る者の直感的な感受性と作者の思考とのバトルのようなところがあるので、たとえそれがずれて外れていたとしても、鑑賞者としての感受性というのは作者のそれとズレがあっても、そこから発展する想像力は次へのステップとして力をつけるのです。
だからといって、でたらめな想像で良い訳でもありませんけれどもね。
鉄の作品に岩絵の具の顔料を吹きつけて赤く定着させているそうです。作品の後ろに子どもが揚げている赤い風船と妙なマッチを作っているのも、この新しい試みに対する応援のようにも感じられ、真っ青な空の青との対比にユーモラスな一面を添えているようにも思います・

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次