
この人の作品を見たのは、こっぽら土澤の中にある「いちびっと」で見たのが始まりです。棚の上に小
さな作品が置かれていて、それがわたしの眼を惹きつけてしまったのです。
それはねこの絵でしたが、それを言い表すのにどういう言葉がいいのか?でもやっぱり、自由奔放とい
う言葉が一番先に出てきます。
でもその自由さが、勝手気ままに遊び回っているのではなく、絵を描きながら出てくる思いがきちんと
整理されていることも感じたのです。
この人はきっと、楽しく生きることが当たり前の日常を積み重ねて来ているのだろう。
そして、その当たり前を目一杯「好き」だと言い切っているのかも知れません。好きなことを疑いもし
ないし、自分に出来ることは「好き」でいることをずっと愉しんでいるのだと思うのです。
わたしなんか、中途半端な好きで目が回ってしまうのです。でも、「コト・コラージュ日々」さんはそう
いうふうに好きなことが、日々立ち現れて、それに片っ端から「好き」という大元を振りかけて、おい
しいエネルギーにしてしまっているのだと思うのです。「好き」をいろんな色やカタチにマブシて「愉し
い」に料理をしているのです。
たまたま訪れた横手の「ふるさと村」で行われていたクラフトフェアに出くわして、何気なく見て歩いて
いたら、この「コト・コラージュ日々」さんご本人に出会ったのです。
ここであったが百年目、とばかりに、いきなり「まちてくギャラリー」に写真を提供してもらえませんか
と持ちかけたのです。
しかし、わたしの作品は芸術ではなく、日々の出来事を気の向きままに描いているだけのこと。決して芸
術などではありません。なので芸術の仲間入りなどしたくありません。と断られてしまったのです。
でも、芸術などというヨロイは愉しくて好きをおいてけぼりにして、理屈でようやくたち歩いている出来
損ないでもあるのです。
日々の暮らしの中の思いや、出来事をそのまま素直に絵にしているこの人の、絵を描くことが好きだとい
う原点を全く変わらずに続けていえるその原点は一体何ナノだろう。という詮索気分が涌いてきてしまう
わたしの情けないへ理屈が恥ずかしくなります。
もっと素直にこの人の絵を愉しめばいいのにね。
そんなわけで、下手な理屈は止めにしてこの人の絵を愉しむことにしましょう。


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