コト・コラージュ日々さんは愉しむ絵を芯から実行している人なのだと思います。
そこへ行くと、私などは愉しく作ることが出発だった筈なのですが、若い頃には個性的だとい
われることに腹を立ててみたり、彫刻って何ナノだろうと、自分が作品を作ることの意味を求
めて理屈っぽく「ナゼナゼ」と自分と作品との関係を理屈で知りたいと思ったりで、それは愉し
むどころではない、難行苦行の修業のようなところに首を突っ込んでしまいました。
ある意味、現代美術というのは、理屈で固めたヨロイで武装しているようなものです。
単純に制作を愉しむだけなら、遊びの世界で子どものいたずらと一緒ではないかという偏った
見方がプロのユエンだという偏向に固まっている部分があるのです。
そして個性的な作品には真価がなくそれは好き嫌いの基準でしかなく、新しい価値を作ること
こそが歴史をつくる、という見方が広く浸透しています。
しかし、コト・コラージュ日々さんの作品を見ていると、愉しむという基本的な姿勢が徹底し
ていて実に爽快です。
その中には、ネコの絵が沢山でてきますが、それはきっと受けが良いのでしょう。よく売れる
のかも知れません。でも、そのネコにもひとつひとつバリエーションがあって、画面の中で色
々な工夫が見えるのです。でも、そうしたことが大事なのではなく、一貫して彼女は愉しんで
いるということなのです。
もちろん、愉しむためにはいろんな問題も出てくるだろうし、矛盾も現れたりで悩む筈です。
しかし、彼女は手を動かし、筆を滑らせ色を塗る時に現れる画面の変化に、きっと勇気づけら
れているのだと思うのです。
そういう画面の変化勝がつぎつぎとあらわれ、それは発見であったり、新しい愉しさが現れる
などの、その出来事が日々のコトであり、自分を喜ばせるコトを寄せ集めるコラージュが、ま
たさらに新しい歓びを作りだしているのだと思うのです。
愉しむための絵であり、出てくる画面に見いだされる歓びが単純に積み重なる日々なのでしょ
う。そうした新しい発見などのことに裏打ちされている彼女の作品を見ていると、とても強さ
を感じ、憧憬に繋がってしまいます。
お前もそういうふうに喜んで仕事をすればいいじゃないかといわれるかも知れませんが、私は
私。バカなことに迷い、足元をふらつかせ、どうでもいいようなことに悩んでしまいながらモ
ノを作り続けることでしょう。
それが自分の、ある意味歓びで、その種類も違うのだから。



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