2025年2月3日〜4月30日
まちてくギャラリー 52 花巻市東和町土沢商店街の27ヶ所に展示
12月にもうひとつサイトを作ろうと思い、マニュアルも充分に読まずこれでいいだろうと勝手な解釈のまま作業をしていたらサイトが表示されなくなってしまいました。
それからというものは、あれこれ対応策の資料を捜しましたがさっぱり解決に至りませんでした。WordPressのフォーラムに投稿して解決策をお願いしたのですが、それもやり取りをしているうちに『事態が収拾つかなくなりそうです。プロにお願いするしかないと思います』と言われてしまいました。
そんなぁ、どのくらい費用がかかるのか怖いと思いながら、検索してみたら最初から費用の一覧を示しているところがありました。早速相談をしたところ、「必ず直ります」とのこと。それからメールのやり取り2時間後「直りました」!
驚きました。見事に修復なって、ログインもできます。こうして新たな記事も書けています。
2ヶ月あまりの間、見にきてくれた人も少なからずあったようです。ご迷惑をおかけしました。お世辞にもすっきり見やすいサイトではありませんが、あるとないとでは大違い。つたない記録の続きをまた再開します。
赤川さんは平面の作品を描いていたそうです。私は赤川さんと知りあったのは下のリンクにもあるように、銀座のステップスギャラリーで去年の10月に会ったばかりです。そのステップスでの赤川さんの個展の祭に作られた小カタログにその平面作品の写真の掲載されています。
それを見ると、鋭く尖った端を持つ形が連なっていたり、重なっているのを見ると、なにか赤川さんの中には造形的な発想というかイメージが常にあるような気がします。
その鋭角な端を持つ形が年代ごとに具体化してきているようにも見えました。そういう赤川さんが作り出すイメージと、今回このまちてくギャラリーに提供していただいた作品写真を見ると、平面作品の形と、立体である動く彫刻の形がはっきりリンクしていると思いました。
これは私の勝手な想像でしかありませんが、いろいろな小さな機械の部品を組み合わせて繋がる立体作品の形は、赤川さんの中でずっと切れ目なく続いている、形のイメージの蓄積なんだと思いました。そりゃあ、そうですよね。突如として脈絡もなく全く別の発想でイメージが生まれるわけもありませんもの。普通。
私はこれらの作品の動きもさることながら、これらの形に赤川さんのオリジンが隠れているような気もするのです。もちろん、それらが組み合わされて仕掛けを組み込まれ、微かな音と一緒に動き始めると、その仕組みの作られ方が実に几帳面で丁寧になされていることにもすぐに気がつきます。その几帳面な丁寧さが、赤川さんが物事と向き合う時の姿勢を表していることも、はっきり見えるのだと思います。
そういう几帳面さが私には皆無なのです。そして、赤川さんの作品からもまた思い知らされるのです。モノを作るということは、モノと向き合ってそれを自分に取り込む作業のことなんだなと。
大体モノを作るということは、イメージを具体化する作業なわけでそういう作業こそが、イメージと具体との落差を埋める平衡作用でもあると思うのです。
そうした平衡作用は自然界の平衡運動と同じように世界の均衡をもたらす重要な現象だとも感じています。
つまり、芸術を代表する表現とは、いや全ての表現は温度が高いところから低い温度を均衡させるのと同じだと思います。表現もまた発生するイメージを現実化する均衡であり、赤川さんの作品も自身の中に生まれるイメージという衝動がモノ化される均衡運動なのだと思います。当たり前のことかもしれないけれど。



