無謀にも表題のようなことをずっと前から考えていました。そんなことをほとんど誰にも話したこともなかったのに、突然「田瀬小学校いきかえれ新聞」と題したものを作って市の公報と一緒に田瀬地域の全戸に配ってもらったのです。
この田瀬に移って13年になりますが、あんまり社交家でもない私はごく近所の人としか話しもしたこともなかったし、草刈りの時とか地域の新年会の時くらいしかあまり言葉も交わさない変人ですが、省みずもせずいきなり廃校になった小学校を若い絵描きたちのアトリエにして開放したらきっと若者たちが喜んでくるんじゃないかという妄想にとりつかれてぶっ放したわけです。
でも、一回目の集まりで若い人から「お年寄りでも参加できるようなことをして欲しい」といわれ、はっと気がつきました。
そうだよな、みんなでできることから始めようって。
それで、私の親父さまが作った2メートルあまりのブロンズ像を庭におっ立てて、田舎のランドマークにしようって思って、提案したら、私の作品も立てようということになってきました。
それは、4メートルもの高さがあるので、しかもそこには2000枚あまりの赤い旗がつくのです。今は10年も経ってしまって骨組みだけになってしまっているものをみんなで再生しようと言うことに話が進んでいます。
そうした、みんなで少しずつ積み上げることができれば何よりです。
2024年7月20日まず、第1段階が写真のようになりました。この日は何とか重いブロンズを立て起こして、ボルトで固定するところまでできてみんなで、よかったよかったと記念写真の場面です。
これから、名盤を作ってこの写真も添えようと思っております。
どうぞこれからもよろしく見守りください。