今までに作った作品と新しく加えたものに、大幅な色の変更をしました。
原色に近かった鮮やかな色ではなく赤なのかピンクなのか、緑にも青にも感じられる中途半端な色にすることで逆に色への意識が強く感じられるようになるのではないだろうか、という思いから白を大幅に増やして薄い色に塗り替えました。けっか、パステルカラーだね、といわれるようになりましたが、それは結果です。薄い色が逆に色に対する意識を強めるように考えたからなのです。
そして、並べ方もランダムに配置をしました。ただ、正面の壁だけは最初から考えていた、イメージ性を意識した並べ方です。
上の写真の配置にはカタチ同士の連続したつながりは最小限にとどめています。右の方から少しずつ大きさが変わるようには意識をしました。
それに対してこの下にある壁面ではひとつひとつの形同士が連続した様子になっていて、全体でひとつになるように考えたものです。
下の写真では、だいたい同じような大きさのものが同じような高さに並んでいます。それに対して小さめのカタチが散らばっています。
これらのすべてのカタチはこの場所になくてはならないというものでもありません。つまり、どこにでもいいのです。私はずっと、若いときから「カタチ」って何だろうということを問いながらカタチをつくり続けてきましたが、かなり初期のころから、「カタチなんてどうでもいい」という一見投げやりな態度でカタチをつくり続けています。
どうでもいいといいながら、どうでもよくないことをしているのですが、そうした態度がこのどうでもいい配置から覗けて見えるでしょうか。これらの作品の配置から楽しいといってくれる人もありますが、それもそうだと思います。だって、自分がこれらのカタチを並べるときには、かなりの部分遊びながらやっているようなものですから。
表現っていうものは自分が気持ちよければ、気持ちよくなれれば開放されることになります。自分の中に溜まっている想像があふれてこぼれるときほど開放されるときはありません。それが表現なのではないでしょうか。今はそうんなふうに考えています。