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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 11月98日〜1月31日 「杉木 奈美 展」

速春

去年の夏は梅雨も来ないうちに暑くなり、秋も紅葉が早く始まるし、雪は12月にどっと来ました。
そして春も2月の末から兆して庭の片隅にはクロッカスが咲いて、もう幾日になるのでしょう。
震災の日は雪が冷たく降り寒い日でした。
速歩でやって来る春というよりも、暦がずれているような気がします。
無精な私はこの広い庭を手入れすることもなく放置状態ですが、もうすぐすべての草が勢いをまして、刈り取らなければ、特に葛のツルの早いことといったら、神秘です。
植物の生長そのものが神秘です。タケノコは1日で何センチ伸びるんでしょうか。葛にしても、ツルの先端が今日はフェンスの際にあったのに、明日になればぐっと持ち上がって金網を登ろうかという勢いです。
このあたりでは6月に新芽が勢い良く吹き始めますが、大きな木の全体に何百という数の新芽が一斉に延び、色を濃くします。
葛にしても、漢方薬に使われ、葛粉は貴重な食材です。植物の成長というか、その光合成を、人が再現しようとすれば、どうなんでしょう。巨大なプラントで熱エネルギーと圧力を加えて微妙な反応を調整するコンピュータの操作が必要になるのかもしれません。この小さな草のどこにそうしたプラント工場があるというのでしょうか。
昔NHKのドキュメンタリーでアマゾンのジャングルを探検するというのを見ていたら、案内役の現地の青年が腹痛を訴え、苦しみ始めるのでした。同行の医師が診ると盲腸炎で、腹膜炎にもなりかねない。手術が必要だ。ジャングルの中ではできない。といっていると、青年はキニーネの大木を見つけて、それに抱きつくのです。もしかすると、皮をかじっていたのかもしれません。そして、すっかり回復した、といってまたガイドを始めるのです。
人間にも当然なのかもしれませんが、そうした神秘的と現代人はいわざるを得ない力を本来備えているのだと、そのテレビを見て思ったことを覚えています。
人間の細胞の中にはなんていうんだっけ、DNA?引き伸ばすと何メートルにもなるという遺伝子の設計図が入っていて、3種類だか4種類だかの基礎的な因子の組み合わせて、眼の色でも、声でもどういうふうにでき上がるか、という設計図のようなものが細胞の中にすべて入っているというのですね。そしてその細胞は数日、数週間で役目を終えて更新され、常に新しい物に入れ替わることを続けているのだそうです。
そういうことが、神秘なのかは分かりませんがそうやって、日々肉体は更新をしている。
精神もきっと、肉体同様に古い知識を検証し、新しい知識として更新を続けているんだと思います。
ほとんどの動物は、生殖能力がなくなると、寿命も終わるのだそうですが、人間だけは生殖能力を失っても生き続ける生き物なんだと聴きました。
動物の個体は次への命を渡せば生存の意味を失うということなのでしょう。
にもかかわらず人間は、生き続ける。
それは、文化の伝承の意味があるというのです。
遠野にも、全国に、いや世界中に姨捨山という話しが残っているといいますが、生殖能力や生産能力だけではなくて、
文化というのは、学問的なことも含むかもしれませんが、社会のというか、社会そのものが生きる力のことだと思います。
昔、子ども電話相談室という素晴らしいラジオがありましたが、「なんで勉強をしなければいけないんですか」という質問に無着生恭は「あなたはお母さんや、お父さんの顔に似ていますか。そうでしょ、顔や体は遺伝して親から子どもに伝わるけれど、知識は遺伝しないんです。だから、おとなは伝えなくてはならないし、子どもはそれを勉強する必要があるんですね」といっていました。
親や、おとなたちから受け継ぐ文化は想像力によって、変化と更新を続ける。遺伝子は次の細胞に生まれ変わる時にコピーミスがどうしてもおきて、修復されるのですが、そこでも修復にミスが起きることが、老化だというのです。
知識の伝承にもミスはおきるし、変質するものもあるはず、というか、それが進歩ということかもしれません。
進歩というのは少し怪しい変化ですが、
毎年ここに咲く花と同様、私も毎年少しずつ変化と老化を経ながら生命を維持しています。

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