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ようやく、ウエブサイトを出すことができるようになりました。WordPressの教則本を何冊買ったことかわからないくらいです。何年前から取り組み始めたかも記憶が曖昧なくらいです。しかし、まだたったの2ページだけですが何とか「まちてくギャラリー」の概要が見えるようにはなったと思います。これから「過去の展示」や作ってきた小冊子のPDFなども閲覧ダウンロードできるようにしてゆきます。
現在の展示 11月98日〜1月31日 「杉木 奈美 展」

表現ってなんなのだろう

藤沢まで行って展覧会を見に行ってきました。帰ってくるともう夜中。ヘッドライトに反射する道路標示のポールが光っていました。
五島研悟さんが残した自由句の山。
研悟さんはガンで5月に亡くなってしまったと電話で知りました。
いつも歯切れのいい言葉で自らの原則を話し、質素を旨として世間の定型の一般に流れない生き方をずっと貫いていたと、私はいつも研悟さんのそうした姿勢をそんなふうに思いながら感じていました。
井上有一の書が好きで、作品も集めていたし、研究もしていました。
研悟さんからくる手紙はいつも鉛筆黒々とシャキッリの筆跡で、用件だけでした。手紙というのは不思議な力を持っているようで、伝えるべきことが増幅したり、装飾をいくらでも広げる事ができる魔物でもあります。だからラブレターなどというものも成立するんだろうとおもうけど。そういう夾雑物を排して素朴に徹していたのかもしれません。
その五島さんが残した自由句の数々が、それこそ短冊などではなく段ボールに黒々墨汁で書きなぐられて山になっていました。
むかし何かで読んだのだけれど、ギリシャの哲学者が相照らす友と思っていた思想家をはるばると歩いて尋ねたけれど、あいにくの留守。奥さんが名前を尋ねると、傍らに落ちている板きれに線を一本描いて、これを見せてくれと言い残して帰った。
戻ってきた友達はその線を見て、その主を悟り奥さんになぜ引き留めておいてくれなかったと、大いに悔やんだという話し。
その話しがどこまで本当か分からないけれど、真偽はどちらでもよく、一本の線が語る事ができ、それを知る感覚は無限なのかもしれないと思った事を思い出します。
五島さんの字が、言葉が、伝えるだろう感覚も一本の線が重なってひとつの字、ひとつの言葉になって感覚を伝えています。
〈真夏に雪と書いてみる〉
暑い日の午後、雪という字を書いて見れば、気休めにもなるのかもしれないと思ったのでしょうか。
字や言葉があくまでも記号の一種である以上、物理的な実態を伴うわけもなく、単に気休めの遊びのようなものだと思いきや、言葉や文字が象徴であるかぎり、その裏側に暗喩というものが隠れていて、いや、言葉や行動に反射してなにかしらが戻ってくる。察する事ができてしまう不思議さをこの文字にしたのではないでしょうか。

そうやって私たちは想像を広げているのだろうと思うのです。

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