



来月、5月からの「まちてくギャラリー」は新里君です。
その作品の写真にするために、雫石へ出かけ久しぶりに会ってきました。
彼とは日大の芸術学部江古田で会って以来の仲間です。江古田のキャンパスはおよそ大学の構内とは思えないくらいにこじんまりとしているのに、美術、写真、放送、演劇、映画、文芸と多くの学科が混在していました。だから時間によっては移動する学生たちで混雑する時もありました。
そんな多くの学生たちで混雑しているホールで非常に目立って、まぁ、意気がっていました。細いズボンを履いて意気揚々と歩くさまは自分の天下で我こそ江古田のジュリー、と看板をしょっているかのごとくだったと記憶しています。
20そこそこの若者が岩手県から東京の新宿でヒッピー文化と自由を満喫したことだと思います。
その頃の彼の作品についてはわたしは記憶がありませんが、新しいものへの欲求というか、芸術の新しい姿に対する羨望は彼ならずとも多くの学生たちにとって強烈な最前線でした。
それからすでに50年以上の時間が過ぎ去って、あとに残ったのは自分たちが過ごした時間の重さではないでしょうか。
彼は物の配置に強いこだわりを感じているように感じるのですが、どうなのでしょう。
三浦の材木屋のあとに暮らしていたころに、訪ねると机の上に鉛筆や消しゴムの位置をきちんと並べて、その位置を記しているのです。その机の脚も床にその位置を書いてあって、その配置を明示しているのです。わたしにはそういうフォーマットが自分の中に全くないので、理解できずわざと鉛筆を崩したところ、たちまち表情が変わって不安な落ち着きのなさに変わったのです。
そして、清潔さに対しても非常にこだわりをもっているようにも感じます。Tシャツなどは何年も着続け繰り返し選択をして襟はすり切れていますが、洗濯はきちんとして真っ白です。長く着続けた衣類は体になじみ、皮膚になったような愛着を感じるのだと思います。そういう意味で強く保守的な性向があるのではないでしょうか。
彼の中では新しい、今までにない斬新な勢いと体になじむ皮膚感覚。進取と保守的な身体の相対的な二律が同居して自然な共同作業をしているように感じるのです。
その新里君は今、毎日小さなスケッチブックにドローイングを続けています。
そのスケッチブックもかなりの数、貯まって彼の記録になっています。
その記録を数冊借りてきて、すべてをスキャンして300点ほどになりました。
それを、来月からの展示に使わせてもらいたいと思っています。
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